初めての起業

構想 起業

起業のきっかけをお伝えしたいと思います。

大学を中退していた高校時代の先輩が、ファッション系のITサービスで起業し、成功していました。西麻布の交差点近くのビル、ほぼ一棟を借り、会社員だった私をたびたび誘ってくれ、行ったこともない高そうな店での会食では、いつもおごってくれました。

会社員を辞める

その頃の私は、かっこよさそうだと思って希望した、マーケティングの部署で使い物にならず、仕事が終わらないため、朝7時半に出社して24時の終電まで仕事し、それでも仕事が終わらず、土日もどちらか出社する状態でした。

またある時は、社内決裁に必要な30ページほどのプレゼン資料のやり直しを、前日の19時に命ぜられ、徹夜して作ったこともありました。

毎日、目の前の仕事しか見えず、逃げたい気持ちを必死に堪えて会社に行ってました。

漠然とした会社への期待や依存心、自分の無能無力さから、耐え忍ぶ日々を選ばざるを得ず、数年が経過します。

しかし、ある一件によって後先考えず、私は退職を決意します。

それは、自分が担当するブランドのプロモーション計画を作成し、直属の上司も含めた7名の課で、素案を検討する会でのことでした。

2000年代前半、テレビ CM をはじめとしたマス広告の効果に、疑問を持ち始める人は少なくありませんでした。今でこそ当たり前となりましたが、企業が一人称で発信する情報ではなく、インフルエンサーや一般消費者などの、第三者が発信する情報によって、購買決定がなされるということを、感度のいい企業は取り入れ始めていました。

私は、その考えに基づいたプロモーション計画を提案し、議論することとなりました。メンバーの反応は非常に良いものでした。

しかし、直属の上司から放たれた言葉は、「これまでと大きく変えると決裁が通らない。少しだけ変化がある提案で十分。おじさん達は理解できないからさ。」

つまり、お客さんの変化ではなく、内部の事情を優先しろ、ということでした。

悪気があって言ったわけではないと思いますし、これまでもそうだったのだと思います。それが、大きな組織で企画を通すということなのかもしれません。

しかし、自尊心がボロボロになりながらも、踏ん張っていた最後の何かが、プツンと切れました。

さんざん迷惑も掛け、社会人としての基礎的な振る舞いや実務能力を鍛えてもらったのは、間違いなく新卒で入れてもらった会社のお陰であり、今も本当に感謝しております。

儲けることを目標に起業した結果

私に転職という選択肢は一切なく、前述の先輩の事務所の一角を間借りして、金なし、人脈なしの起業をします。

あるのは、化粧品業界での経験や知識、まず食えるようになるという目標だけでした。

昼間は朝から仕事し、夜は事務所付近での先輩の会食におまけで参加し、色々な人を紹介してもらい、終わったらまた事務所に戻って仕事し、近くの「かおたんラーメン」を食べて帰宅するという生活が続きました。

やがて、人を雇用できるぐらいまでになり、付近で事務所を借りて、とにかく儲かりたい、会社を大きくしたいという気持ちで仕事に励み、やれば結果が出て、さらに売上目標を上げて達成するという、好循環ができました。

起業して4年後には、全国6,000店以上のドラッグストアやバラエティショップで自社商品を扱ってもらえるようになり、中心商品だった4,000円強の健康食品は、インターネット通販も含め、年間30万個以上売れるようになりました。

しかし、もう十分でした。というより、これ以上頑張る理由がありませんでした。

もともと物欲はほとんどなく、派手な生活や交流より、好きな時間に起きて、本を読み、広い公園を走るだけで十分なんです。

儲けたお金で何かしたい訳でもないのに、ただ儲けたいという目標だけで突き進んできた限界がきました。