目標設定の力

目標設定 目標

初めて起業した会社の業種は、健康食品・化粧品メーカーだったのですが、当時、取引先が同じだった従業員が数千人の業界最大手企業で、現在、営業部長をされているTさんと5年ぶりに会食しました。

勤務されている企業は、もともと9割以上の売上を、国内に依存していましたが、2010年代から急速にグローバル対応を図ろうと、同族経営の色が強かった経営体制から、外資系企業などで活躍したプロ社長を登用し、マネージャークラスにも外資系出身者を増やし、ついには社内英語公用化が決定され、半年後からスタートするとのことでした。

英語公用化で話題になった企業は、ユニクロや楽天などがありますが、自分とは全く無縁の話だと思っていたところ、よく知る国内イメージが強かった企業が、大きく変容している現実を知り、大変に驚きました。

その方も、カバンにTOEIC対応の参考書を忍ばせ、行き帰りに学習しているとのことでしたが、私がその会社に勤務していたら、発表当日には辞表を出していたのではないでしょうか。。

英語公用化の発表は、ある日突然だったかもしれませんが、会社を取り巻く環境変化や社内体制の変化から、その事自体は予想できなかったとしても、何かしらの予兆は感じていたのではないかと想像します。

しかし、私達は、現実味のある未来予想だとしても、自分にとって不都合なことであれば、信じたくなく、見たくもない訳ですから、予め備えようという考えには至りません。

環境変化に対応する力とは

昨今のような著しい環境変化に対して対応するスキルは、「勉強するための能力」であるという意見が、根強くあります。

受験勉強や資格の学習はもちろん、業務スキルを飛躍させるための勉強など、いわば、知識社会における基礎となる「勉強するための能力」のことです。

例えば、よく書籍などで紹介されているのは、
・難しい参考書や書籍から入らず、入門書をマスターする
・勉強したことを、アウトプットしてみる
・その際、図でまとめてみる
・問題集は解くものではなく、解答解説を読みながら記憶の確認用として使う、
など、その他にも色々とありますが、知識として知っておけば便利であると思います。

しかし、本当に必要なスキルは「目標設定力」ではないでしょうか。

自分自身を駆り立てる意味や目的がなければ、意志力を発動して自分に鞭を打ち、何かを犠牲にするような気持ちで取り組まざるを得ず、大変なストレスにまみれ、やがて頓挫してしまいます。

体験した目標設定力

私は、10年前に、3年掛かりで合格率5%以下の、経営コンサルタントの国家資格である中小企業診断士を取得しました。

学習を始めた当時は、起業した事業の業績が順調に伸び、いわゆる家業から会社組織にしようとする段階でした。

書籍やセミナーなどで、断片的ではありますが経営を勉強していたものの、人によって言ってることが違ったり、経営のどの部分の話なのかなど、しっくりこないこともあり、経営の全体フレームと基礎法則を身につけたく、経営の教科書を学びたいと思うようになりました。

もちろん、実際の商売と教科書では違う部分があることも、当初より意識していました。

その上で、現実の経営を教科書に照らすことで、どのレイヤーで手を打つべき課題なのか、起きた現象は原理原則の中でどう解釈するのが適切なのかが理解でき、要らぬ不安を抱かず、確実に手を打つことができました。

こうして、従業員が増え、取引先も増え、扱う商品も増えていく状況をマネジメントできるようになったのは、資格そのものというより、自分の商売に必要な考え方や知識を身につけようとした学習過程のお陰でした。

ただ、折角取り組んだ事なので、学習を修めた客観的な証として、資格取得をゴールとしましたが、3年間ずっと勉強できたわけではなく、仕事が忙しいときは中断せざるを得ず、また不合格だった年は、しばらく勉強する気になれないまま、数ヶ月が経ったこともありました。

しかし、私は年商10億円の会社にするという目標を掲げ、社員や友人にも宣言し、その目標を達成するためには、経営の教科書を習得するという派生目標の達成が必須だと、位置づけていたため、継続することができたのです。

資格があれば損しないとか、役立つかもしれないという考えでは、長期間に渡る学習や、試験に落ちた後、再開することはできませんでした。

すなわち、障害に負け、今の快適さに引っ張られる力から、将来の向こう側に引っ張ってくれる強烈な原動力となったのは「目標設定」の力であり、その後の3回のバイアウトに至る道も、全て「目標設定」の力でした。

分かっていながら継続しない原因

どんな方でも、対象は何であれ、一度は目標の持つ効能を体験されているかと思います。

しかし、体験済みで、その効能も分かっていながら、現実に流されてしまう人が圧倒的に多いのはなぜでしょうか。

どんな方でも、少なからず目標の持つ力を体験し、その効能も分かっていながら、現状に流されてしまう人が圧倒的に多いことについて、考えていきたいと思います。

仕事などで、予想もしなかった良い成果、考えてもいなかった活躍など、さほど努力しなかったにも関わらず、ちょっとした成功を体験する場合があります。

私も経験があるのですが、こうあったらいいなというイメージの結果であったり、本当に偶然に近いものだったりします。

「運がいい人間なんだ」とか「天才かもしれない」という錯覚を、もちろん本気ではないにしても、近しい幻想を持ったりするものです。

「天才とは蝶を追っていつのまにか山頂に登っている少年である」 (アメリカの作家、ジョン・スタインベック)

「結果というものにたどり着けるのは、偏執狂だけである。」 (アインシュタイン)

これらの言葉のように、天才は、対象との出会いも重要ですが、もともとの才能に加え、偏執狂並みに、一つのことに一心不乱に夢中になれる人間かどうかです。

私達は、天才でないことが分かっていても、改めて、そのような人種ではないという結論を突きつけることが、まず第一歩です。

その上で、私達は、戦略的に、目標を頼りに生きようと、決意する必要があるのはないでしょうか

行動を促す目標との付き合い方

先ほどの意図しなかった成功体験をそのままにしておけば、何もなかったのと同じです。

ポイントは再現性ですが、2つのアプローチがあるかと思います。

1つは、何となくイメージしていたことが実現したとき、なぜ上手くいったのかを、要素に分けて客観的に分析してみる。

そして、自分では普通だと思ってたことが、他者にとっては簡単でないことを認識し、少し大きな目標を設定してみる。

やがて、その目標を達成し、さらに大きな目標を立ててみる。

それを何度か繰り返す過程で、自分の存在意義にも直結する、高次元の目標に出会う機会が訪れるのでないでしょうか。

生きていれば、自分の道を行くしかない時が必ず来る

(『ドルフィン 海は、夢をかなえるところ』セルジオ・バンバーレン著、兼武進訳、PHP研究所)

もう1つのアプローチは、成功体験の延長上でも、全く関係なくても構わないのですが、スキル、資金、人脈など、全ての制約を無視して、現状では到底届かないと思える、大きな目標を設定することです。

小さな計画は立てるな。でっかいことを考えろ

(クラレンス・フランシス、ゼネラルフーズ社長)

ただし、ここで気をつけなければならないのは、大目標だけですと、現実性が低くモチベーションを保ちにくいということです。

このため、大目標を分解し、現実性が高い小目標も追跡していく。小目標の達成体験を重ねることで、モチベーションも維持でき、大目標に近づいていく訳です。

私の場合、2回目の起業ではこのアプローチでした。

1回目の起業では、ただ儲けたいというモチベーションが大きく、加えて、儲けたお金で何かしたいというイメージもなかったので、前者のアプローチに頼らざるを得なかった、というのが正直なところです。

書籍やセミナーなどでは、後者を勧める方が多いと思いますし、私も手放しではありませんが、その方がいいと思います。

しかし、本当に思っていなかったり、明確にイメージしずらいものを掲げ、自分を信じ込まそうしても、継続は難しいものです。

よくある例として、変に社会性を押し出し、聖人君子ぶったところで、本当に思っていなければ、初対面の他人は欺けても、自分自身やひとかどの人物を欺くことはできません。

それであるならば、目の前にぶら下がる人参を素直に目標にした方が、行動を促し、結果が出ます。

しかし、内面から湧き出るような大目標を、いずれ見つける必要がありますし、そうでければ、結局、自分を毀損することになりかねません。

人生のおける目標の効能

目標設定について、もう1つ付け加えたいと思います。

現段階では、日本で暮らしていれば、最低限の衣食住を確保することができ、インターネットで世界中の情報も入手できます。そんな当たり前のことができない、国や地域に暮らしている人も、大変多くいらっしゃいます。

私達は、先人達が築いた恩恵に預かっている訳ですが、同時に、ハングリー精神を持って成功を目指すというのは、もう無理があるのかもしれません。

また、人口が年々増大して、市場が拡大し、国全体が拡大路線で、企業の業績も毎年増えるベクトルを、個人目標のベクトルに合わせることで、成長を実感できた時代も終わりました。

信じていたものが崩壊し、私達は混乱しましたが、もともと他人が考えたベクトルを信じていただけであり、本質的に考えなかった自分自身に原因があると思うのです。

会社の保証もなく、少子高齢化がさらに進行し、経済が縮小する、ますます自己責任を求められる社会にあって、個人が、自分の目標を信じ、拠り所としていく働き方や生き方が、成長を促し、自尊心と一貫性を保ち、経済的にも精神的にも安定した生活を、保証するのではないでしょうか。