目標設定と社会との関係

作品 目標

自身の将来像の1つに、「経済的な心配をせず、好きなことだけをして、楽しく暮らしたい」と考えている方は、少なくないかと思います。

私も、経営者になってしばらくは、同様の気持ちで過ごしていました。

また、私の周りでも、強い欲望や野心がエネルギーとなって成果を出されたり、勤務している会社が上場し、保有している株の値上がり益で十分な資産を築き、何も活動されてない方がいらっしゃいます。

簡単に欲望を叶えられる世界

日が高くなるまでゆっくり寝て、何のストレスもなく、仲のいい身近な人とだけの交流、長めの海外旅行。

最初は楽しいですが、張り合いもなく、お酒を飲んでも以前のような美味しさを感じない。ぽっかり開いた空虚な空間を、何で埋めればいいか迷走する日々。

上記は何を隠そう、儲けることだけを目標に、馬車馬の様に働いて会社を成長させ、上場企業に会社売却をした1回目のバイアウト後の私の姿です。

普通のサラリーマン家庭で育った私が、成功だと思っていた状態になってみると、 鉛のように鈍く感じる日々を、過ごさざるを得ませんでした。

どうしてそれが苦しいのか分からない、楽に生きられるなら最高じゃん、という人もいらっしゃるかと思います。

しかし、以下の寓話に似たような状態になる方も多いようです。

1人の男が夢を見ている。彼は死んでしまって、遠い遠いところにいる。

そこはとても快適な感じがした。ちょっと休んでから彼は呼びかけた。「誰かいますか?」

すると、すぐに白い服を着た人が出てきて尋ねた。「何かご希望ですか?」

男が答えた。「何かもらうことはできますか?」

「何でもあなたのご希望のものを差し上げられます。」

「では、何か食べるものを持ってきてください。」

「何を召し上がりますか? ご希望のものは何でもございます。」

彼は食べたいものを運んでもらい、それを食べて眠り、すばらしい時間を過ごした。

それから演劇を見たいと所望すると、それも見せてもらえた。

こうしてくり返し、くり返し、彼は望むもののすべてを叶えられた。

しかし、そのうちに彼はそれに飽き飽きしてしまう。白衣の人を呼び寄せて言った。

「私は何かをしてみたいのですが。」

「申し訳ありませんが、それこそ、ここであなたに差し上げられない唯一の事柄なのです。」

これを聞いた男は言う。

「私は吐き気がする。飽き飽きした。いっそのこと、私は地獄にいるほうがましだ」

すると白衣の人は叫び声をあげて言った。「一体、あなたは、どこにいるとお考えだったのですか?」

『キリスト教と笑い』(宮田光雄著、岩波新書)

最後が、少し分かりにくいかもしれないですが、簡単に欲望を叶えられる世界は、天国ではなく地獄である、ということを伝えています。

宝くじで大当たりした人

このような姿と対極にあるのが、「背伸びした目標を設定し、達成しそうになったらより高い目標を設定する」という、サイクルを回している姿です。

ここまでの話を、縦軸に「目標の有無」、横軸に「負荷の適切さ※」とした、4象限で整理したいと思います。

(※必死で努力すれば届きそうだが、簡単には届かない状態こそが「適切」であり、難しすぎず、簡単すぎず、というのが定義です。)

目標と負荷
  1. 目標があり、負荷が適切(背伸びした目標があって、少しでも近づこうと日々努力)
  2. 目標があり、負荷が低い(目標はあるものの、行動量が不足しており、不完全燃焼)
  3. 目標がなく、負荷は適切(望まないものの、 働かざるを得ない状況)
  4. 目標がなく、負荷が低い(生活費には困らず、ストレスもない、楽な生活)

それぞれ、何となくでもイメージをつけていただけると幸いなのですが、冒頭で記した通り、象限4の「目標を定めず、負荷も低く、生活費にも困らず、ストレスがない、楽な生活」を、 直感的には、老若男女を問わず、大半の方が望まれるかと思います。

実はこの状態の時、その人の心を支配しているのは「慢心」であり、さらに「慢心」と「臆病・怠惰」とは、表裏をなしています。

それゆえに、慢心の人は責任をもたず、新しい挑戦や苦労を避けようとするため、進歩も成長もありません。

その結果 、心は淀み、エゴに支配され、腹が立っていらいらしやすい憤懣(ふんまん)があふれます。

それが、自身や周りの人への破壊的な行動につながってしまう事もあります。

また、慢心の人は、必ずといってよいほど、良い習慣やルーティーンを怠っています。傲慢さに毒され、基本を軽く見ているからです。

ここまで言い切れるのは、かつての私がそうだったからです。

しばしば、宝くじで大当たりした人の人生が破綻する、という話を聞いたりしますが、状態としてはその人と変わりません。

私は初めて起業した時、ただ稼ぎたいという動機が大半を占め、同時に原動力となっていました。

そしてある程度とはいえ、結果が出てきたことを感じた時、この延長に自分の未来をどうしても描けず、気持ちが折れました。

これが、初めてバイアウトした時の率直な理由です。

その後、頑張る動機が自分以外のためであれば、何か変わるのではないか、という思いで過ごしていたところ、「未婚化・少子化という社会課題」への取り組みを目的とした、2回目の起業につながり、新たな目標に邁進することができるようになります。

目標の有無と負荷の適切さ

目指す状態を、象限1の「目標があり、負荷が適切(背伸びした目標があって、少しでも近づこうと日々努力)」に置こうとしていれば、自尊心、精神的安定、内的・外的な成長が、間違いなく促されます。

今、明確な目標があり、十分な行動をしているにもかかわらず、壁にぶつかり結果が伴わず、不遇な思いをしている方は、同様の状態にいらっしゃるため、少なくとも他の象限にいらっしゃる方より、恵まれた状態なのです。

さらに、他人に役立つことが目標の中心になっていると、自身への恩恵は何倍にも感じるものです。

仮に、他人からのフィードバックが全くなかったとしても、自身の中で湧き上がる活動エネルギー、自尊心の充実など、大変な恩恵にあずかることになります。

さらにさらに、その事業や会社は社会にとって不可欠な作品となり、多くの方から求められる対象となるものです。

社会への態度から、作品は生まれる

私は、初めての起業では、いつも戦っているような気持ちで臨んでいましたが、2社目では、いつの頃からか、事業や会社が作品であるかのような幻想を抱き、幻想が意識に変わり、意識が型を形成し、やがて文字通り「作品」に変容していきました。

最近は、社会の最低限のマナーである、倫理に反していないかどうかに、社会全体が敏感ですよね。

その上で、独自の価値を提供している生命体だからこそ、社会に受け入れられ、自社の商材を購入していただくことができ、生存を許されます。

そして、ニーズ変化などの外部環境が変わった時、自社の内部も、10人11脚で走るムカデ競争のように、足並みを揃えて対応しなければ、たちまち存在が危うくなります。

すなわち、内部の足腰が強くなければ、足並みが揃わないどころか、足がもつれて転倒してしまうことになるでしょう。

では、この内部の足腰が強いとは、どのような状態でしょうか。

一言でいえば組織能力が高いということですが、具体的にいえば、蓄積された独自ノウハウが、メンバー全員と共有され、行動に反映された状態であり、これに加え、外部環境の変化時に、その独自ノウハウを、自ずと変更できる仕組みが備わっている状態です。

つまり、独自ノウハウを持ちながら、改善し続ける仕組みを持っていることで、大概の変化には対応できるようになります。

基本ニーズは変わらないとしても、社会や消費者は、常に変容していますから、提供側の認識や内部ノウハウとの、ちょっとした掛け違いが生まれます。

この時、まるで、ロデオボーイ(馬の動きに似せた健康器具)を、うまく乗りこなすように、大きかったり、小さかったりする揺れに合わせ、呼応するように揺れる仕組みが、あらかじめ組み込まれている必要があります。

  1. 顧客に商材を提供するまでの仕組みや、変化に対応する時の仕組みに、論理的に無駄のない筋道が、通っていることが望ましい。
  2. 社会のルールに則って、継続的な価値提供を行いながら、変化する社会とかみ合いながら、共存していることが望ましい。
  3. 1と2が一体となり、美しいフローを形成している。

これらは、プラトンから始まった哲学概念である「真善美」と同じ構造です。

すなわち、認識上の真理(理論)、倫理上の善、そして、審美上の美という、人間の精神が究極的に求める、三位一体の普遍的な価値のあり方の、構成要素を満たしています。

それを、他者に説明しようとすれば、一つの有機的な生命体として、美しい構造を持っているため、相手にもその価値は伝わりやすくなります。

私が2回目、3回目のバイアウト時は、まさに丹精込めて作り上げた作品を売却するような心境でしたが、商材であれ、事業であれ、会社であれ、何かを作り上げ、価値交換を行おうとするのであれば、「真善美」を意識することが肝要であると、思わずにはいられません。