経験者の価値をどう考えるか

ジョギング バイアウト

全く経験がない場合、文字通り右も左も分からなければ、事前に情報収集や調査を念入りに行い、慎重に行動する方が大半だと思います。

一方で、その分野に関して全く経験がないわけではなく、かといって最後まで到達した経験や専門性があるわけではない、部分的な経験のみを有している場合があります。

部分的な経験の危うさ

もう10年以上前ですが、私がフルマラソンを初めて走ったのは、神奈川県で開催された湘南マラソンでした。

当時、私は週に1回、5キロほどのランニングをしていたため、レースの2週間ぐらい前から少し長い距離を走るぐらいの準備で十分だと思いました。

いざレースが始まると、20 kmぐらいまでは順調で、前にいた人を追い抜いたりしたのですが、徐々に膝裏の関節が痛み出し、足首も同様の状態になって、やがて走ることができずに歩き出し、35kmで時間切れリタイヤという結果となりました。

また1回目の会社売却では、会社売却の経験がないにも関わらず、生半可、経営がうまくいっていたため、「何とかなるだろう」ぐらいの認識しかありませんでした。

会社を査定するデューデリジェンス中に、何年も遡って事実確認を行う羽目になったり、取引先に事務作業を依頼して迷惑を掛けるなど、上場企業である買い手企業の信頼を失いかけ、危うく売却し損なう経験をしました。

部分的な経験がある場合、自己評価が過大になりがちなので、全く経験がない時よりむしろ、失敗の可能性が高まります。

自動車免許の取り立ての頃より、半年ぐらい経った頃の方が、事故率は格段に上がるらしいですが、似た理由のようですね。

全過程の経験自体が価値

しかし、こうした初めから終わりまでの一幕の経験は、結果やプロセスがどうあれ、価値あるものに変換できます。

私は、時間切れリタイアした初マラソンの数年後、カンボジアのアンコールワットで行われたフルマラソンに参加しました。

日本の真夏と同じような気候だった上に、到着した翌朝のレースだったため、体調は十分ではありませんでした。

かつてマラソンを走った時にどう失敗して、どうすれば良かったのかなど、機会あるごとに人に話していたこともあり、意図なく言語化していたようです。

これに、事前のトレーニング方法、レース直前の準備、ペース配分などの知識が加わったことで、無事に完走することができました。

2回目、3回目のバイアウト時も同様で、1回目の苦い経験を反芻し、日頃の経営や売却の準備を行っていたため、デューデリジェンスに慌てることなく、交渉そのものに集中できました。

方法ではなくメカニズムの理解が重要

1回目より2回目以降の方が上手くいきやすいのは、何ごとも然もありなんですが、そのメカニズムを知ることが重要です。

それは主に2つほどあると思われます。

逆算思考

1つは、現在地から未来を考えることに加え、 逆算思考が可能になることです。

最後まで経験していない場合、その先は、現在地から未来を予測することしかできません。

目標対象はうっすら見えるものの、道中の経験がないため、足元の道は平坦なのか、岩場なのか分かりませんし、見えている目標対象は幻かもしれないという疑念が湧き、思いっきり次の一歩を踏み出すか迷うようになります。

一から十までの経験がある人は、道のりの特徴と重要度の観点から、どこをショートカットすればいいのか、どこを徐行に切り替えればいいのか、などが分かります。

仮にM&Aでバイアウトを狙う場合、少なくとも案件化する半年前から逆算し、最適な経営の舵取りを行うのと同時に、先回りして想定できる課題に手を打っておくことができます。

経験そのものの昇華

もう一つのメカニズムは、満身創痍になりながらでも、持てる力を出し切っていれば、その時の感情も含んだ「経験」という驚くべき量の情報が、潜在意識に刻みつけられていることです。

何が勘所だったのか、何に原理をおけば良かったのかなどを考え続け、断片的にでも人に話していれば、個人の身体知が、他者にも伝わる体系的な言語に進化します。

本やセミナーなどで得る情報は、網羅的で論理的に整理された知識の集合体である場合が大半ですが、その世界を知る入門機能の役割は果たせます。

それを脳内にコピペして行動に結びつけるか、人によっては独自の着想を得ることもできます。

これはこれで大変に重要ですが、強烈な自信に基づく意思決定を行えるレベルではありません。

一度でもその頂上を踏みしめたことがある人は、到達点とその道中に関する身体知を持っています。

たとえ雪が降って景色が変わったとしても、いつもより足元を気をつけるぐらいで、まして曇天、雨天であれば、その人にとっての当たり前レベルで対応できるため、恐怖や不安などとは全くの無縁です。

すなわち、当事者としての経験から、裏表全ての感情や映像、匂い、空気感などの身体知を持っている人は、濃淡を踏まえた実践レベルにまで、知恵を昇華できます。

ですから、場合が違ったとしても、鮮明な類推によって確信ある意思決定を下し、人を巻き込みながら行動することができるものです。

ビジネスにおける経験の活用

成果は、「意思決定に基づいた行動の集積」によって持たらされます。

また、ビジネスは突き詰めると「最低限の投入で最大の成果をあげる」ことを指標とした、シビアな世界です。

最大の投入を行って、最小の成果、あるいは損失を被るという結果を覚悟してでも、自ら突っ込んでいくのか。

当事者として2回しも、3回しもした経験者と併走するのか。

この2択であることが分かります。

すなわち、無駄になるかもしれない時間と手間という犠牲を覚悟してでも、まずは自己体験を優先するのか、言語として伝わるように体系化された他者の経験を、確信ある意思決定に活用するのか。

私達は、常にこの選択を迫られていることになります。