当事者意識 vs 働きアリ

侍 マネジメント

現在の自分や自身の将来に対し、自分以上に「当事者意識」を持つ人はいないのではないでしょうか。

組織メンバーの当事者意識

経営者やフリーランス、ご自身の名前で活動されている方をはじめ、組織内の方であっても経営者以上に当事者意識をお持ちの方とお会いすることもあります。

私自身これまでの会社経営で、社員に対して「自分と同じぐらい当事者意識を持ってくれたらなぁ。それは虫がよすぎるという話かぁ。」などと思ったことは、正直、一度や二度ではありません。

組織メンバー全員が、そのリーダーと同レベルの当事者意識を持つことは可能なのでしょうか? 

織田信長の専属部隊

史実を踏まえた着眼で織田信長を描いた『信長の原理』(垣根涼介 著、 KADOKAWA)には、とても参考となるエピソードがあります。

戦国時代の前夜である室町時代後半、武家の次男や三男は、部分的にさえ相続する権利はなく、一族に財産がなければ家を出る、分家を興す、他家に養子に出る、長男の部屋住みになるなど、変えることのできない宿命を背負っていました。

近い将来、戦乱の時代になることを見越していた、尾張国の長兄である織田信長は、武田信玄や上杉謙信などが率いる強国に対して、自国が劣っている軍事面をどう挽回するか、日夜悩んでいました。

その一つの解決策として、信長は生まれながらにして出世の見込みがない次男坊や三男坊を寄せ集め、非公式の軍事集団を創設し、日頃から鍛え上げていました。

最強と自負するその軍隊を実戦に投入してみたところ、信長がイメージする圧倒的な勝ち方ができませんでした。

織田信長と働きアリ

そして信長は、幼い頃から時が経つのも忘れ観察していたアリの集団を、ふと見たとき、よく働くアリと、普通に働く(時々サボる)アリと、ずっとサボっているアリの割合が、おおよそ2:6:2になることに気付きます。

鍛え上げた全員がフル稼働する、圧倒的な勝ち方でなければ強国に勝つことはできないと、信長は長らく苦悩するのですが、ある合戦で理想の戦い方ができました。

天の利、地の利を活かしたエピソードで有名な「桶狭間の戦い」です。

詳細は他に譲るとして、自軍が追い詰められ壊滅しそうなとき、鍛え上げられた家来全員が当事者意識を発揮した行動で勝利した、まさに信長が理想とする戦となりました。

しかしその後の合戦で、数多くの同じ武将が残っていたにも関わらず、以前と同じ「2:6:2」の戦いぶりに戻ってしまいました。

有事の際は、メンバー全員が当事者意識を持つものの、事が差し迫らなければ人頼みとなってしまう。

私自身も身に覚えがあるのですが、致し方ない「慣性の法則」として捉えるべきなのでしょうか。

どんなに優秀な人を採用して鍛え上げようと、常日頃から全員をフル稼働させるのは、無理があるのかもしれません。

「まさか」のときは無形資産だけが頼りとなる

であるならば、いざその時を迎えた時、自発的に全員がフル稼働する「条件」に注目する必要があります。

受注や資金調達が不調に終わり、倒産寸前に追い込まれる状況は「非日常」の出来事です。

事業理念を、社長と社員と共有するのは「日常」で行うことです。

社長が社員の働きを認め、よく面倒を見て鍛えることも「日常」で行うことです。

有事の際、日常の時間で築いてきた「理念の共有や浸透」や「社員との関係」が、当事者意識を触発し、「自発的に行動する」という反応を引き起こす「条件」だと思うのです。

「VUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)」がさらに進行するであろう令和の時代、非日常が起こりうるからこそ、社内だけでなく社外も含めた他者に対し、自分の考えは丁寧に伝え、相手との関係に責任を持つことを、改めて大切にしようと思った次第です。