起業における理想とは

夢 起業

起業には、理想と現実がつきまとうわけですが、最初は理想を掲げ、しばらくすると、現実対応で精一杯となり、何のための起業だっけとなる方も多いようです。

現実だけ見ていても、起業した自分自身が盛り上がりませんし、理想があるからこそ、厳しい時でも踏ん張ろうと思います。しかし、私の初めての起業と同様、起業時に明確な理想がない方も少なくありません。

夢と志

理想がないというより、平たく言ってしまえば、「儲かりたい」などの自己の願望が大半を占めている、という方が正確かもしれません。

これはこれで、しばらくは自分を支えることができますが、ある程度の望みが叶ったその先に未来は描けないわけですから、私の場合、最終的には息も絶え絶え、頑張れなくなりました。

2回目の起業の時は、未婚化・少子化という社会課題を改善する一助となりたい、という思いが真ん中にある起業だったため、やっていることの意味や自尊心を感じることができ、余計な迷いがなく、以前とは違い、清々しく仕事をさせていただきました。

違った言葉でいえば、自分の願望である「夢」と、社会を良くするという「志」に分けられます。

「志」というと、「幕末の志士」というぐらいですから、その時代を思い浮かべずにはいられません。

NHK大河ドラマで放映している「西郷どん」をはじめ、明治時代を作った幕末の偉人にまつわる話には、枚挙に暇がありません。

その系譜をたどると、松下村塾を作った吉田松陰が次の時代の理想を掲げ、西郷隆盛もそうですが、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、勝海舟など、その後に続いた人々が、行動を起こし、明治維新の実現となりました。

そこで精力的に行動した人々の根底にあった共通認識は、このままの日本では、欧米に侵略されてしまうという「強烈な危機意識」でした。

やるべきか、やらざるべきか

幕末を舞台とした多くの作品で、登場する彼らの行動基準は、「やるべきか、やらざるべきか」でした。

私達が度々使う、同じような言葉に「やれるか、やれないか」というのがあります。

この言葉は、結果を気にして「できそうならやる、できそうもないなら諦める」という意味ですが、「やるべきか、やらざるべきか」は、 そんな悠長なトーンではないわけです。

侵略されるかもしれない。立ち向かえない現体制を継続する選択肢はない。そしてそれをやり遂げるのは、自分以外に誰がいるのだ。

今のままだと確実に訪れる不都合な未来に対して、 自分の使命として人生を掛けるのか、もしくは、ただ指をくわえて見ているだけか、という選択肢でした。

この気概を持つ人同士が触発しあったからこそ、新しい時代を切り開けたわけです。

危機意識と行動の関係

起業に限らず、その人なりの「問題意識」を持つことが重要だといわれますが、そこから行動に結びつくまでには、大きな隔たりが存在します。

これに対して、強烈な「危機意識」は、自身を内面から駆り立て、動かずにはいられなくなり、厳しい現実に立ち向かいながらも、やり遂げる行動力を生み出します。

「このままでは欧米に侵略される」という強烈な危機意識が、障害だらけで、気の遠くなるような「天皇中心の中央集権による、近代国家に作り変える」という理想を実現するための、圧倒的で、時に狂信的といわれる行動に向かわせたのではないでしょうか。

構造的問題への挑戦

私の最初の起業時と同様、何のための事業なのか、何のための起業なのか分からない、という悩みを吐露される方が、少なからずいらっしゃいますが、その切迫感や意識は非常に重要です。

足元を眺めれば、自分が所属する世代、地域、国、業界など、構造的な問題が何も存在しないフィールドはありません。

見聞きする中で、自身が決して見逃せないと思える状況や危機が、自分のとっての「やるべきか、やらざるべきか」を検討できる対象ではないでしょうか。

自分が立ち上がるフィールドは、今、自分がいるフィールドの中に必ずあるはずです。

強烈な危機意識から始まった理想は、どんな厳しい状況であっても、それを乗り越える命綱となり、そのフィールドを作り変える変革をもたらし、他者を守ります。

もちろん、キラキラ輝く世界を理想と捉え、形にするという考え方もあると思いますが、現実をより良く変革する価値や影響力が、今私達が生きている時代には、至るところで必要とされているのではないでしょうか。