ここ数年だと思うのですが、レジ待ちの目印を床の1箇所に集約したコンビニエンスストアが増えました。
以前は、レジごとに目印がある店はマシな方で、目印さえない店もあり、順番が不公平になったり、店員がわざわざ声を掛ける場面をしばしば見かけました。
目印が集約されたことで、レジが複数あっても公平に捌けるようになった一方、レジ待ち導線の通路にある商品をじっくり選ぶことが困難になりました。
ただそこは、データを飯のタネにされている業態ですから、総合的に判断されたのでしょう。
目に入った順に行動する
先日入ったコンビニでは、菓子類が両脇に並んでいる通路に、レジ待ちの大行列ができていました。
ある方がお菓子を手に取ろうと、1人ならゆったり難なく通れる通路に分け入り、並んでいる人からは迷惑がられ、おまけに自身の体に商品が触れて落としては拾いを繰り返す光景が、何気なく目に入りました。
その後、日用品売り場に洗剤を取りに行って、先ほど分け入ったレジ待ち行列の一番後ろに並ばれていました。
もうお分かりだと思いますが、行列が短くなれば先に取りに行った菓子類が並んでいる通路を、否が応でも通ることになります。
その人の事情も知らず、観察するのも失礼とは思いながら、その方が感じたであろう不快さ、不便さを想像すると、 次は全体感を持って売り場を回遊されることを願わずにはいられないのと同時に、私にとってこの出来事は決して人ごととは思えませんでした。
頭に浮かんだ順に話す
自分が会社員だった頃、頭に浮かんだまま人に話していた時期があり、上司への報告などでは「言ってることが分からない」とか、「時間がないから結論から話して」などと指摘された経験が何回もありました。
全体を俯瞰して部分や順序を考えることを意識していない人は、目の前や頭の中に浮かんだ通りに話したり行動してしまうものですが、意識することを繰り返すうちに、比較的短い時間で身に付く習慣でもあります。
ビジネスはもちろん普段の生活でも、このような思考習慣の効果を体感している人は少なくないのではないでしょうか。
これまでのキャリア視点
全体感から部分を考えるといえば、働き方やキャリアも同様です。
キャリアは計画できるものではないという意見や見方がありますが、詳細については私もその通りだと思います。
しかし、「VUCA」の時代と言われるように「価値観の多様化」、「不確実性の増大」、「変化の高速回転化」、「情報流通量の増大」などが当然の過渡期を、キャリアの軌跡イメージを変えずに乗り切っていけるでしょうか。
すなわち、平成の後半から「自己責任」の時代と言われながらも、仕事で体験した実務経験とスキルを中心とした学習のハイブリットによる「蓄積」によって、キャリアは右肩上がりに向上するという前提の上で語られてきました。
キャリアの前提が変わる
しかし新たな時代では、「廃棄」する、すわなち「終わり」を終わらしたのちに、余白期間を経てから新たなことを始めるというステップを踏む必要があります。
1つの会社や組織の「タコ壺」に入り込んで外に出られなくなるキャリアか、健康ランドなどでちょっと湯船に浸かっては「別の変わり種風呂へと走り回る小学生」のように、世の中の話題や流行に翻弄されるキャリアになるか。
様々な機会でこの話をさせていただくと、有名企業の会社員の方でも、業績が好調な社長であっても、このことを自覚されている方が思いのほか多いことに驚きます。
軌跡とメカニズムを知ることから始まる
ではその軌跡をたどろうとするとき、どのような獣や魔物がはびこっていて、どう対応するのか、それぞれの局面では何を優先順位として意思決定を行う必要があるのか。
軌跡メカニズムとそれを攻略する方程式を知らなければ、適切な変化を遂げることができません。
何度も高速の突然変異を遂げるためのメカニズムを知り、自らの働き方や生き方に活かす必要がありそうです。