事実と真実を上手に活用する

自己実現

元・貴乃花親方の引退が、騒動の末、決着しました。

様々な場で議論されていますが、その是非は他に譲るとして、騒動の本質の1つに、「事実」と「真実」の取り扱いが不適切であったことは否めません。

事実と真実の違い

事実を扱うプロである弁護士さんに、お互いがやり取りを半ば丸投げしたため、余計に混乱を招く結果となりました。

内閣府への告発の撤回と、一門への加入が部屋の存続要件であると、貴乃花親方は結びつけ、相撲協会からの圧力があったと報道されていました。

恐らくこれまでの経緯が、このような解釈に転じさせたと察することができます。

一方で、相撲協会側は、内閣府への告発の撤回が、一門への加入条件ではない上、一門への加入が部屋の存続条件でもない、とアナウンスしました。

その言葉じりから元・貴乃花親方がどう感じるかまで、計算され尽くされた言動なのか、そんな意図や筋書きはなかったのか、外部からは知る由がありません。

「事実」は、白日のもとにさらされた内容です。

それに対して「真実」は 、当事者にしか分からない、事実以外の事情を含んでいる場合があります。

「事実」は客観的なもので、「真実」は主観的なものと、捉えることもできます。

すなわち、「事実」は常に1つですが、「真実」は1人に1つずつ存在します。

このため、他人が相手の真実を理解しようと思えば、相手への共感や背景、動機などの理解が必要です。

事実偏重が不寛容を生んでいる

昨今の、事実ベースのやり取りを第一義とする風潮に、一抹の不安を感じることがあります。

私達は、自分の都合のいいように解釈をするものですし、声が大きい人が有利になるなど、かつては、口約束した言った言わないで争うケースが目立ちました。

また、何か事件が起きれば、警察の方や弁護士さんが、事実を拾い上げ、積み重ねることで、解決への道を探ろうとします。

しかし、それらはある意味、非日常的な出来事であり、日常的なコミュニケーションが事実偏重になることで、別の軋轢を生んでいると思われます。

事実ベースを強調するがゆえ、不寛容で、人間関係が希薄化しやすく、ストレスや幸福感喪失の一因を為しているのではないでしょうか。

事実の役割

もちろん、事実を軽んじようという話ではありません。

事実が明確になっていないために、不利益を被ったり、不利益が拡大することもあります。

しかし、日常においては、目に見えにくいところで粛々と事実を扱い、必要であれば、対応すべきではないかと思うのです。

取引先、社員、外部パートナーがいて、自身のビジネスが成立しています。

家族、親族、友人という存在があり、交流があるからこそ、人生に彩りがあります。

人間なんですから、誤解や行き違いなどもあるでしょう。

そうなった時に、お互いが事実に戻り、約束事や基準を確認することが、かけ離れた解釈や理解の防波堤となり、そこから建設的な議論になっていくものです。

事実が何であるかと共に、事実をどう解釈しているか、というキャッチボールも必要となります。

対話が、事実と真実を活かす

また、ご存知の方も多いと思いますが、言語と非言語がコミュニケーションに与える影響を示したものとして、「メラビアンの法則」があります。

メラビアンの法則では、コミュニケーション時の情報のうち、相手に影響を与える要素は、言語情報(話の内容など)が7%、聴覚情報(声のトーンや話の早さなど)が38%、視覚情報(見た目など)が55%、という内容です。

つまり、言語情報が1、非言語情報が9の割合であるという一説です。

真実をぶつけ合いながら、事実と真実を行ったり来たりしながら、お互いが、自身の真実を省みる必要がある時もあるでしょう。

そんな時、私達はAIでないからこそ、対面で話すという物理的な交流が、心の交流を生み、信頼関係が醸成されます。

そのようにして育まれた信頼関係や、相手への寛容さが、自身の幸福感の一部を形成していくのではないでしょうか。